やりたいことと適性が異なることのジレンマ、目的を選ぶか結果を選ぶか

やりたいことと適性が違うことのジレンマ

「やりたいこと」=「自分に合っている」というのであれば悩むことはないですが、「やりたいこと」と「適性」が合っていない場合は非常に悩みます。自分に合っているかどうかの判断基準を結果を求めるのか、それともやりたいことを優先するか、いずれを選ぶかで向き合い方が大きく変わってくるでしょう。

やりたいことと適正が異なることのジレンマは仕事をする上で、また仕事を選ぶ上ですごく悩むところです。本記事ではスポーツ、音楽、芸能という3つの角度から私なりに考えた「適正」と「選択」についてお話したいと思います。

目的と手段の違い

それをやること自体を目的とするなら、「やりたいこと」を優先すべきでしょう。しかし、結果を求めるなら「自分に合っている」ことを優先した方がいいのかもしれません。

たとえば、「音楽をやりたい」と「音楽で食べていきたい」を共存させるのは簡単ではないでしょう。自分のやりたい音楽で食べていけるのがベストですが、世間に求められている音楽が違う場合もあります。

やりたい音楽を貫きとおすべきか、売れるための音楽をやるべきか、これは非常に悩むところです。

昔、私もバンドをやっていたのですが、趣味だったのでやりたい音楽を思う存分できました。でも、音楽で生計を立てたいと思うならば売れなければならないので、自由度はかなり制限されるでしょう。

売れてからやりたい音楽をやればいいという話もよく聞きますが、自分の音楽にポリシーを持ちたいという気持ちを捨てるのは難しいと思います。

友達が東京で音楽活動をしているのですが、自分が自信を持っている曲とお客さんにウケる曲が違う、と言っていました。友達の曲の中で私が好きな曲をリクエストするのですが、見ていると友達がライブで本当に演奏したい曲と違うようにも思います。

長友佑都の話

サッカー日本代表の長友佑都は、インテルという超有名チームのサイドバックとして活躍した経験を持ち、日本のみならず世界的に実力を認められている選手です。

長友佑都選手の特徴は、何度もオーバーラップしながら一試合フルで走り続けられるケタ外れたスタミナ。そしてサイドバックからの精度の高いセンタリング。

特に印象に残っているのはアジアカップ2011の決勝、対オーストラリア戦。延長線で長友は左サイドから駆け上がり、ゴール前に走り込んできた李忠成にドンピシャのクロス。

そして、李忠成の完璧すぎるダイレクトボレー。あのゴールは今も記憶に焼き付いています。

今でこそサイドバックとして大活躍している長友選手ですが、もともとのポジションはボランチでした。

大学時代、フィジカルの強さと走力が高いことから、監督にサイドバックへのコンバート(ポジション変更)を提案されたそうです。椎間板ヘルニアを再発して苦しい時期もあったようですが、コンバートを受け入れてからサイドバックとして才能を開花させ、FC東京に加入してプロの道を歩み始めます。

サイドバックにコンバートされた時は悩んだと思いますが、日本代表に選出され、そしてインテルに加入するまで大成功を収めているので、結果的に受け入れて正解だったのでしょう。本当にやりたいのはボランチだったかもしれませんが、コンバートを受け入れてそこで結果を出したことで世界的な選手になったのです。

私はこの話がすごく好きで、適性を見抜いた大学時代の監督、サイドバックへのコンバートをそれを受け入れてそのポジションで結果を出そうと努力をした長友選手の選択は、このテーマの真髄を突いています。ボランチとしても成功した可能性もありますが、悩んで悩んで選択した結果が今の大成功につながっているのでしょう。

もしかしたら、自分の適性とポジションがマッチしていなかったばかりに才能を開花できなかったサッカー選手は数多くいるかもしれません。客観的に自分の適性を判断するのは難しいので、良い指導者との出会いはとても大事です。

自分で気づいていない才能や適性を客観的に指摘してくれる人が身近にいるかどうか、これも人生を大きく左右するでしょう。

誰か、私の中にある、恐らくあると思われる、あると信じたい、あるはずの、あるかもしれない、才能を、引き出してください。

福山雅治の話

福山雅治が「関ジャム」に出演した際に話していたですが、本当はロックがやりたかったが高い声が出なかったため、声質を活かした今のスタイルにしたという話をしていました。

福山雅治は氷室京介の声に憧れていて、ロックに向いていない自分の声が最初は好きじゃなかったそうです。でも声は変えられないので、自分の声を活かした曲を作ることにしたそうです。

この話から、福山雅治は自分自身をよく理解していて、自己プロデュース力に長けている人なのだなと感じました。もしハイトーンなメロディのロックにこだわっていたら、低音で心地よく歌い上げる今の福山雅治はいなかったわけです。

もちろん才能があるミュージシャンであることは言うまでもないですが、自分の才能を最大限活かすにはどうすればいいのかを分析し、その結果が自分のやりたいことと違うスタイルでも受け入れ、成功へとつなげたのはすごいなと感心しました。

「家族になろうよ」の制作秘話についても語っていて、高いキーが出ない自分の声の特性を考えた上でサビの下降型メロディー(音が徐々に下がっているメロディー)を考えたそうです。また、一般の人が歌いやすいようにあえてファルセットを入れていないという話もしていました。

あと、もともと「しあわせになろうよ」という曲名だったのを、タイトルを決める時に「家族になろうよ」に変えたそうです。これから結婚しようという人は「もう幸せ」なので、「しあわせになろうよ」という茫洋とした表現ではなく、「家族になろうよ」という具体的なタイトルにしたと話していました。

作詞する時は主観と客観を何回も入れ替えて完成させていくそうですが、感覚的には主観9割・客観1割の方が届き方がいい気がするという話もされていました。本回の出演者だったハライチの澤部いわくお笑いは逆で、「主観9割だとほぼほぼスベる」とのこと。これも面白い話ですね。

福山雅治はご自身のことを「十種競技に出るようなタイプ」と自己分析しているという話も興味深かったです。歌だけで食べられる、作曲だけで食べられるという、演奏だけで食べられるといった何かが突出したタイプではないため、歌も作詞も作曲も全部やることで足りないものを補っている、と自己分析していました。

歌だけでは食っていけないと気付き、デビュー当時、できないかもしれないけれど作詞作曲をさせて欲しいとスタッフにお願いした、というエピソードも話していました。自己分析をした上で自分の足りないモノをどうすれば補えるかを考え、実行し、できることを増やしていた結果、歌を歌える、作詞作曲もできる、福山雅治というミュージシャンになったのです。

また、こんな話もありました。

デビュー当時、ラブソングを書いて欲しいというオファーがあったが、ラブソングが好きではなかったので書いたことがなく、でもヒットするためにはラブソングを書かなければならないと考え、作詞作曲したそうです。

曲はできたけれど詞できず、プロデューサーの木崎賢治に相談したところ、こう質問されたそうです。

木崎賢治:
福山くんは女の人を好きになったらどうなるの?

福山雅治:
大切に思ってしてあげたい事が増えていくんです。

木崎賢治:
いいと思う、じゃあそれ書いて。
次どうなるの?

福山雅治:
自分のこと分かってほしくなります。

木崎賢治:
分かってほしくてどうなるの?

福山雅治:
自分の好きな所に連れて行きます。

木崎賢治:
それもいいと思う。書いて。

こうしたやりとりを続けていると、木崎賢治から「できた」と言われたとのこと。そうしてできた曲が「Good night」で、まさにこの会話の通りの歌詞になっています。

このやり方は自分で作詞する時やプロデューサーする時に使っているそうです。
※歌詞は掲載できないので各自で検索してください。

こうして書くと「Good night」が売れるために書いたと捉えられてしまいますが、福山雅治はこの曲が転機になったと話していて、特別な曲であるとも語っています。

でも、ヒットさせるために自分の好みではないジャンルの曲を書く、というのも音楽のジレンマですよね。そもそも才能がないとヒット曲は作れないわけですが、その才能を認めてもらい、ミュージシャンとして食べていくためには世間が求めている曲を書くのも必要なのかなと思いました。

最初は嫌々だったとしても、その中で自分の持ち味を活かしたヒット曲を作れるのが本物の才能なんだなと思います。嫌々作っても好きになることもありますし、新しい自分を発見することもあるでしょう。

その道で食べていくにはこだわりを持ちつつそれに縛られすぎず、求められているモノを提供する柔軟性が必要だと思います。せっかく音楽の才能があっても売れないと生活できないですからね。難しいところです。

私は福山雅治のこの話がすごく好きで、自分の声質を理解した上でその適性に合わせた曲を作っているからこそ、歌が心地よく響くのだと感じます。

才能があることは言わずもがなですが、歌だけで大成できないと判断したからこそ、自身で作詞作曲ができるよう努力した。そして苦手だったラブソングを書けるようになった結果、今のスタイルにたどりつけたのです。

その道で食べていくために自分の持っているモノ・変えられないモノを理解し、その上で自分に足りないモノを補っていくという考え方はすごく参考になります。適性があっても自分を理解していないと才能を発揮できませんし、突出した適性がないなら何を補うべきか考えないとその道で食べていけませんからね。

お笑い芸人の話

適性がないことをやり続けると、引き返せなくなるリスクもあります。お笑い芸人はそれが顕著な職業だと思います。

あらかじめ断っておきますが、私はお笑い芸人がすごく好きで、人を笑わせることができる芸人という仕事を尊敬しています。お笑い芸人の名前を覚えるのを趣味としているぐらい好きです。

お笑い芸人は芸歴10年でも若手と呼ばれるくらいで、40歳を超えてもお笑いの芽が出ずアルバイトで生活しているという話もよく聞きます。それを聞くたび、お笑い芸人を目指すのはリスクが大きいと感じます。

ストイックにお笑いだけをしてきた人は手に職を持っていないでしょうし、40歳を超えると就職の選択肢がかなり狭まります。それまでお笑いに生きてきたからこそ諦めるのは難しいですし、かといって売れるのはほんの一部という厳しい職業です。

お笑い芸人は私が絶対にできない職業であるがゆえに憧れがあり、お笑い芸人をすごく尊敬しています。だからこそ、売れないお笑い芸人が一定の年齢を超えた時に心配になるのです。

余計なお世話なのでしょうけど、早い段階でお笑い芸人に適性があるかないか分かれば、他の道も選べるかもしれません。構成作家として活躍されている芸人さんもいらっしゃいますし、収納王子コジマジックなどビジネスを成功させている芸人もいっしゃいますよね。島田秀平はお笑い芸人より手相占いのイメージが強いですが、自分の特技を活かして成功しています。

芸風で言うと、ボケとツッコミの適性、いじりキャラといじられキャラなどの適性なんかも芸人人生を分けます。

オードリーはもともと春日がツッコミでしたが、あまりにもツッコミとしてポンコツだったため、ボケに変えたのです。その適性が見事ハマり、オードリーは今や人気コンビになりました。

出川哲朗や狩野英孝はいじられキャラとして才能を開花させていますが、本当はツッコんだり大喜利で笑いをとったりしたいと何かの番組で話していました(アメトーークだったかな)。でも周りは彼らがいじられキャラに向いていると分かっているから、持ち味を活かすいじり方をしてくれますよね。

いじられキャラに適性があるのにプライドが邪魔して受け入れられない芸人もいるかもしれません。でもそれはもったいないですよね。

それはもう目的と手段の違いで、笑わせるか笑われるかにこだわらず、笑ってもらえることが第一というように考えた方がいいような気がします(でも受け入れられない気持ちもよく分かります)。

自分に置き換えてみると、本当はいじられる方に適性があるのに、いじられるのが嫌というプライドがあるせいでコミュ障に陥っています。いじられキャラを受け入れればもっと楽なのに、と思うことがあります。

でも本当は人のことをいじりたいんや!いじられるのは嫌なんや!というしょうもないプライドがあるので私は芸人には向いていないと思います(そもそも面白いこと言えないし)。

自分の適性が希望と一致しないジレンマ

自分の適性が自分の希望とは一致しない場合、それを受け入れるべきか、こだわりを貫くべきかは非常に悩むところです。

長友選手のようにコンバートを受け入れて成功した選手もいれば、自分のやりたいことを貫き通して成功した選手もいるでしょう。はたまた人に適性があると言われてその道に進んだものの、その指摘が間違いだったということもあるかもしれません。

本当に適性があるかはやってみるまで分からないですし、ある程度のレベルまでいかなければ適性が分からないこともあるので難しいところですが、最終的に判断をするのも、その判断の責任を追うのも自分です。なるべく判断を間違わないようにするには、根拠が必要になります。

長友選手の例だと、フィジカルの強さと走力が高さがあったことからサイドバックへのコンバートを提案されました。他にも根拠があったと思いますが、コンバートを提案した監督はそれらの根拠と経験をもとに長友選手はサイドバックが向いていると判断したのでしょう。

ただ、適性があるからといって成功が保証されるわけではありません。結果的に成功したから良かったと言えるわけで、もし思うような結果を得られなかったとしたら、自分のやりたいことを貫き通せば良かったと思うかもしれません。

どうせならやりたいことやって失敗したい、やりたいことをやり通せたら失敗しても満足できる、という気持ちもよく分かります。

成功するかどうかは誰にも分からないので、あとは可能性の問題です。適性がある道を選んだ方が成功する可能性は高くなります。成功することを目的とするなら適性のある道を選んだ方がいいでしょう。

それをすることが目的であるならば、やりたいことを貫きとおした方が後悔しないでしょう。しかし、やりたいことにこだわりすぎると適性の判断を誤ってしまいます。

もっとシンプルに考えれば「目的を選ぶ」か「結果を選ぶ」かの2択です。

やりたいこと自分の適性が一致していない場合、やりたいことを優先するより適性を受け入れた方が自分にとってプラスになるのではないかと思います。自分の適性を受け入れることで開ける道があるでしょうし、結果を出した人しか見られない景色もあるでしょう。

いや、それでもやりたいことを優先したい、という気持ちであれば、本当の本当にやりたいことなのでしょう。たとえ望むような結果が出なくても、やりたいことをやれた満足感が得られるでしょう。

もしかしたらやりたいことを貫いた先にしか得られるもの、見られない景色があるかもしれませんし。これは本当に難しい選択肢です。

私は自分に音楽の才能がないと思って諦めましたが、やり続けていたら隠れていた才能が花開いたかもしれません。憧れであるミスチルの櫻井さんと共演できていたかもしれません。多分、天地がひっくり返ってもないですけど…。

適性がないことを続けても、適性がある人には勝てない

人にはそれぞれ得意不得意があります。ほとんど苦労せずに習得できてしまう人もいれば、人一倍苦労する人もいるでしょう。

ここで問題となるのが、努力すればある程度のレベルまではいけるけれど、それより先は適性が必要だということです。残念ながら、適性がないことを続けても、適性がある人には勝つのは難しいでしょう。

適性がある人は早く習得する分、どんどん先へ進めるので、苦手な人はそれ以上に努力しなければなりません。でも時間は限られているので、苦手なことに必要以上に時間をかけることは効率的と言えるでしょうか?

ある程度のレベルまで苦手を克服できたなら、得意分野を磨くことに時間を割いた方がいいと私は思うのです。ライバルが自分の得意分野を苦手としているなら尚更で、差をつけるなら得意を磨いた方がいいのではないでしょうか。

私が常々思うのは、自分はコミュニケーションが苦手であるため、努力してもコミュニケーションが得意な人には勝てないなということです。もちろんコミュニケーション能力を磨く努力はしていますが、そこに多くの時間を割くよりも、自分が得意なことを磨いた方がいいのではないかと考えています。

たとえば、友達と会社を立ち上げる場合、役割分担でそれぞれ得意なことを担当した方が効率的です。友達がコミュニケーションが得意なら営業を任せればいいわけですし、自分がマーケティングが得意なら裏方で分析の仕事をすれば役割分担ができます。

お互いの得意不得意が真逆であれば、お互いをカバーし合えるので共同経営するメリット大きくなるでしょう。

こだわりとプライドが邪魔する

目的を選ぶか手段を選ぶかで考えればシンプルですが、こだわりやプライドが邪魔する時があります。長く続けてきたスタイルにこだわり続けたり、自尊心を保つためにプライドを優先したりすると、可能性を逃してしまうかもしれません。

これまでと同じやり方、スタイルにこだわるなら、それを続ける理由が必要です。ただ今までずっとこのやり方でやってきたから、というのでは考えることを放棄しているだけです

伝統工芸の技法など変えてはいけないものもあるでしょう。しかし、職人不足を解消するためには変えられない部分以外で機器を頼ったり、宣伝にwebを活用するといった時代の流れに合わせることも必要なのではないでしょうか。

芸人さんの場合だと、長くやってきた芸風をガラッと変えた途端に売れることもありますよね。オードリーのようにボケとツッコミを入れ替えてうまくいったコンビもいます。

ハリウッドザコシショウのように自分のスタイルを貫き通して売れた芸人さんもいますし、その時代のニーズも関係するので難しいところです。

しかも、長く続けたスタイルを変えるのは簡単ではありません。これでやってきたというこだわり、プライドがあるので、そうそう新しいスタイルは受け入れられないでしょう。

適性が自分が望んでいないものだったとしたら、それを受け入れるかどうかで未来は変わってきます。適性を否定するのは簡単ですが、受け入れた先にしかたどり着けない場所もあるかと思います。

自分の持っているモノ、適性を好きになる

変えられないなら好きになってしまう、受け入れてしまう。自分が望んでいない適性であってもそれを好きになる。それが私なりの考え方です。

自分の持っているモノを好きになるのは前進するための第一歩となります。受け入れるには時間がかかるでしょうけれど、適性を好きになることは自分を認めることでもありますから。

手に入らないモノを渇望するより、いま自分が手にしているモノをどう活かすかを考えたほうが効率的です。適正があるなら他の人よりも上達も早いでしょう。

自分が求めていない適正を好きになるのは言葉で言うほど簡単ではないですが、頭から拒否せずに受け入れることを考えてみると道が開けるかもしれません。適正のあることをやってみてダメだったりしっくりこなかったりしたならば、やっぱりこだわりを貫き通すのが自分に合っていると分かるのですから無駄にはならないでしょう。

どうしても自分のこだわりを貫きたいのであれば、適正のあることで成功してから思う存分やりたいことをやるという手もあります。むしろそれがやりたいことをやる近道です。

私もフリーランスになって本来はやりたくない仕事や自分に合っていない仕事もたくさんしてきました。正直しんどいと思うこともありましたが、その苦労を経て今は自分のやりたい仕事を選べるようになってきました。

100%やりたい仕事だけというわけではありませんが、フリーランスになりたての頃に比べるとやりたいことに近づけています。まだまだ理想には達していませんが、自分ができる仕事をやり続けた結果、今の恵まれた環境を手に入れられました。

適正があるかどうかは結果で示されます。結果が出るということは適正があり、反対に頑張っても結果が出ないなら適正が薄いということでしょう。

やりたいことと適正が異なると悩むと思いますが、一度思考を柔軟にして自分の持っているモノ、適性を好きになってみてください。

ABOUT ME
ケンタトニック(旧モジャー)
コンテンツSEOに強いフリーランスのWebディレクター/Webライター、フリー歴10年。 ディレクション受注実績:出版社、営業ツール、音楽スクール等のオウンドメディア運用・改善。
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