「気の置けない友達」は、「仲の良い友達」を意味します。反対に、「気の置ける」は、「気を遣う」という意味になります。「~ない」という否定の意味なのに、肯定の意味になるこの言葉、違和感がありますよね?
「気の置ける」「気の置けない」の意味を正しく理解していないと、思わぬところで誤解を生むかもしれません。反対の「気の置ける」という言葉の意味を理解すると、違和感が解消されることでしょう(多分)
【目次】
「気の置けない~」の違和感
日常生活であまり使うことないのですが、マンガや小説なんかで「気の置けない」という言い回しをよく見かけます。「~ない」は否定の意味なのに、「仲が良い、親しい」という意味になるのは違和感ありまくりです。
「気の置けない」を、「打ち解けられない」と解釈している人も多いのではないでしょうか?
でも実は逆で、「気の置けない友達」は、「仲が良い友達」という意味になります。
「~ない」が言葉に含まれているため、なんとなくしっくりきませんが、間違って「気の置けない」を「親しくない」という意味で使うと、なんだか関係がギクシャクしちゃいそうですね。
正しい使い方を覚えるために、次項で解説する、「気の置ける」の意味から理解してみましょう。
「気の置ける(気が置ける)」から理解してみる
「気の置けない」の反対は、「気の置ける」です。言葉の印象から、「気の置ける」の方が「仲が良い、親しい」という意味になりそうですが、そうではありません。
「気の置ける(気が置ける)」=「打ち解けられない、気にかかる、気遣う」という意味です。相手に対して「気を置く」、つまり、「気遣ってしまう、遠慮してしまう」という意味になります。
反対に、「気の置けない(気が置けない)」は、「気遣う必要のない、遠慮がいらない」という意味です。相手に対して、「遠慮の必要がなく、気を許せる間柄」という意味となります。
通常なら、「~ない」がつくと否定の意味になりますが、この言葉は逆です。
「気の置ける人」=「気を遣ってしまう人」という意味
「気の置けない人」=「気を遣う必要のない親しい人」という意味
気を置く、つまり自分の気をその人に向けてしまうこと、イコール「気になってしまう、気遣ってしまう」ということなのです。
「気の置けない」「気の置ける」が分からなくなった時
え?よく分からない?仕方ないですね。では、アメトーークの「勉強しかしてこなかった芸人」で笑い飯の哲夫が教えてくれた勉強法を紹介します。
大阪夏の陣、冬の陣はその言葉の印象から夏が先、冬が後と感じてしまいますよね?しかし、実際には冬の陣が先に起こり、夏の陣が後に起こりました。
いざ問題が出た時に「あれ?どっちだっけ」ってなりますよね。そこで、笑い飯の哲夫はこうして覚えたそうです。
「それは逆!!」
そうです、「それは逆!!」と頭にインプットさせればどちらが先に起こったか分かるのです。「それは逆!!」と唱えて強く強く頭に焼き付けましょう。
では、この勉強法を「気の置けない~」に当てはめてみましょう。
「あれ?親しいトモダチって気の置ける、だっけ・・・」、と混乱してしまった時は、「それは逆!!」を頭で唱えましょう。
そうすれば使い方を間違えることはありません!
※後半は完全にネタなので無視してください。
まとめ
「気の置けない」と「気の置ける」を逆の意味で覚えてしまっている人は多いことでしょう。その気持ち、よーく分かります。
さらにややこしいのは、「気の置けない」=「仲がいい」という正しい意味で使っても、相手が逆の意味で覚えてしまっていたら、「え?私のこと仲良く思ってないってドユコト…もう絶交よ!」なんて事態になるかもしれないこと。
(いや、そうじゃないんだよ、仲がいいってことなんだよ…)
反対に自分が間違った意味で覚えていたら、「あいつ俺のこと気の置けないなんて…親友だとオモテタノニ…」、なんて勘違いをしてしまうかもしれません。勘違いって怖いですね…。
日本語って難しいものです。日本で生まれ育った生粋の日本人ですら、意味を間違える言葉が結構あるのですから。
最後にもう一度おさらい。
気の置けない → 気を遣わなくていい親しい間柄
気の置ける → 気を遣う間柄
こちらも間違えやすい慣用句です。実は「ぞっとしない」=「恐ろしい」は誤用!
気の置けないという表現を初めて知った時は、私もマイナスな意味だと思っておりました。
日本語って難しいですね。
それどころか、間違った解釈で浸透してしまって、間違ったまま使われている日本語が沢山あるようですね。
もっとも、大分日本語が崩れてきてて外来語も使いまくっていますから、そういった表現自体が廃れていきそうな予感がします。
意味を間違って解釈していると、正しい意味を知っている人との間で誤解が生じてしまうので、それも怖いところですよね^^;
否定形なのに、意味が肯定的なところというより
”気が置ける”が「〜できる」の可能の意味でなく、「〜置いてしまう」という自発の意味であるところに、より大きな違和感があるのだと
少なくとも自分の中の違和感を分析する以上は、そのように思うのですが
そして、現代人は自発の意味の日本語をほとんど使わなくなっているのかなと、思ったのですが
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、自発の意味で使う点での違和感がありますね。
「気」=「気遣う」ではなく、「気持ち」と捉え、「気の置ける」=「気の許せる」というニュアンスで捉えてしまう人も多いかもしれませんね。